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レジデントブログ

12月になっても言いたい放題
2020.12.05


こんにちは。前回の投稿で「小生」という単語を使い、どういうわけか癪に障る言い方だなあと思っていたので改めて意味を調べたところ、この言葉は「男性が自分をへりくだって言う語」ではあるものの「ふつう、自分と同等か目下の者に使うものとされる」ようです(出典はこちら)。なるほどうざい訳ですが、「小生」という言葉を使った当の本人が大して賢くもなく、また何一つロクにこなせない小人物であるにも関わらずあろうことかへりくだろうなど甚だ身の程知らずで滑稽もいいとこです。「何一つロクにこなせない」なんていうと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、真面目な話今の自分がそうであることはあながち間違っていないし、社会的に大いに役立たずであるという看過できない爆弾を抱えているのは一応自覚しています。これから断食を強いられて本当に干からびたモヤシにならないないためにも、社会から必要とされることに誇りを感じていたいと30歳手前にもなってやっと思うようになった私は馬鹿で、やはり独善的な性格だと嫌われるのはもちろん食いっぱぐれやすくもなるから始末が悪すぎます。


 


上の段落に記したような無力感は毎年寒い時期が来て日が短くなるとより一層感じるようになるのですが、意識して体を動かしているせいか鬱屈した気分は少しだけ蒸発してくれたような気がしています。モヤシが縄跳びをしたり、苦しそうな顔をしてダンベルを持ち上げたりするのを見るのは何とも形容のしがたい娯楽的要素があるんだろうなと思いながらやっていますが、私は飽くまでも健康になることが目的で、これ見よがしの鋼鉄の肉体を手に入れるための鍛錬ではありませんのでそこんとこ夜露死苦とでも言いたいところです。自らの経験則のみで物を言うのはあまり好きではありませんが、今のところ少なくとも悪い影響はなさそうだし、少しずつ真面目さを取り戻しつつあると勝手に思っています。


 


その「悪い影響ではない」もののひとつとして(そんなことを言うと高尚に聞こえるかもしれませんが)初めて作ったフィッシュアンドチップスをハウスの皆様にふるまいました。レシピは3つくらい参考にしましたが、私のような料理の素人でも読み間違えなければそれなりのものが作れるようです。ただ日本のタラは塩がまぶしてあるものが多く、やはり塩がまぶしてないものを使った方が美味であったのは認めざるを得ません。



またかねてからの私の引け目の出所であった読解力のなさを解消しようと思い立ち、本の読み方を根本的に変える試みも行っています。「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の一部がある本に引用されていたのですが、読書量と読解力に必ずしも相関関係はないという研究結果があり、私のように本を読んでいるにも関わらず頭の足りない人間がいることは容易に説明出来てしまうようです。「こういう自分を目指したいからこういう本を読む」という読み方は私にとって精神が疲弊する以外のなにものでもなかったので、今までは思想的に親和性の高い著者の本や好きな小説ばかり読んでいたのですが、いざ「好むと好まざるとに関わらず客観的な理解が求められる場面」に対峙することになった時にこのままでは困るのかなと思った次第です。(と、うそぶく私の本棚は下の写真みたいな調子で、だから駄目な奴を脱却できないのですが、ちゃんと本の読み方に関するものもあります。何を読んでいるのかを見せるのが恥ずかしいので載せないだけです。)



今回はこれくらいにしておきます。また急に寒くなりましたからくれぐれもご自愛ください。


投稿日 :
2020.12.05
投稿者 :
Tamaki

著者プロフィール

今年29歳になりますが、大学を卒業したのは25歳、就職に至っては27歳になってからというとんでもない遅熟児(遠藤周作の造語)です。

社会に揉まれていないMan childだなとよく揶揄されますが、実際のところの性格はナヨナヨした見た目通りで、事実そうであることも自認しております。「大人」「成熟」「貫禄」「成功」、実にどの一つの単語をとっても自分に似合うと思えないのが悔しくてなりません。

The Smiths, Radiohead, Nirvanaみたいな陰キャラかつフェミニストよりなバンド音楽が好き。それでいて伝統的な価値観に基づいた「男らしさ」の偶像、そしてそれに対する憧憬を全否定することのできない、実に扱いにくい迷子です。

在英経験もあります。結果的に独善的な性格を形成することになってしまいましたが、語学だけは一定期間で人並みの上達が出来たのではないかと思っております。換言すれば、それ以外何一つ社会に有用な能力を持ち合わせていないということにはなりますが・・・。

南流山の皆様は優しいので、こんな歪な僕でも暖かく迎えてくださいました。

心の支えとしての日常や、この土地の魅力を僕の拙い文章と乏しい語彙で、少しでも伝えていければ幸いです。