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レジデントブログ

生きている実感を獲得すること
2021.02.28


ある住人さんが、幸せの感じ方、ひいては良き時間の使い方にもつながる習慣について教えてくださり、私も大いに共感しました。今回はその紹介、またそれをダシにしていろいろな話を展開したいと思います。

「ダシにする」なんて失礼な言い方かもしれませんが、この記事の筆者はそもそも煮てもダシなど出なさそうなモヤシです。ダシが出ないが故、自分以外の美味しいダシに頼らさせていただかざるを得ない、しなびたモヤシ...。その不甲斐なさを皆様には笑い飛ばしていただきたく、そこんとこ夜露死苦とでもお願いしたいところですが、当該住人さんにも正当な理由でウンザリされておりますオフザケはこれくらいにしておきます。繰り返しますが、「正当な理由で」ウンザリされてしまうのは十割私の責任であることを念押しさせていただきたく思います。なにはともあれ、その方は

「気持ちのいい朝に食料品の買い物に行き、仕入れられたばかりの新鮮で立派なブロッコリーを安く買うことが出来た。単純だと思うけど、それだけで自分は幸せな気持ちになれた」

と言っていました。

個々の朝の時間の過ごし方に関わらず、このような幸せの感じ方は精神衛生上非常に有益で健康なものと思います。裏付ける文献等の提示が一切出来ないので、私的観点のかたまりのような言い方になってしまいますが、人生についてああでもない、こうでもないと考える前にこのような幸せを感じられることこそ、本当に生きている実感をもたらすのかもしれません。

幸せについては、別の住人さんから本の一節を紹介していただいたときにも着想を得ました。その本の中には「死ぬのが怖いというのは、死ぬことを考えている、生きている間の時間が怖いということである」という内容の記述があったそうで、その時私は、人生についてあれこれ考えている時間が長すぎたという反省に至りました次第です。「失われた十年」などというフレーズを持ってくるといささか大袈裟に聞こえますが、あと少しで終わりを告げようとしている二十代の時分、その時間は、今この瞬間を生きているという実感を多く感じられずに、灰のような時間がただ過ぎていったような気がしてなりません。その間、私は生きている意味を考える隙間など与えないくらいに夢中になれるものを探し続けましたが、大切なものを見失った結果空回りで終わったと考えています。もちろん夢中になれることで人生がうまく転がっていけばそれがいちばん幸せなのかもしれませんが、最初の方から教わった日常生活においても心躍る瞬間を見逃さない姿勢や、本の紹介をしてくださった方から教わった人生を深刻に考えすぎないという意識からは、大いに学ぶべきと思いました次第です。

最初に挙げた住人さんが朝の過ごし方に少し触れられていたので、最後に朝のことについても少し話せたらと思います。特に休日の朝に関しては今まで目も当てられないほど怠惰な生活を送りがちだった私ですが、最近は予定を入れて活動をすることもあります。おこがましい言い方にはなりますが、これまた別の方が退去される日の朝にはエッグマフィンをつくる約束をし、それを振舞った瞬間は生きているということを色彩鮮やかに感じることが出来たように思います。余談と言っては失礼ですが、この既に退去された方にはあらゆる人生の相談に乗ってくださり、他にもとても良くしていただきました。この場を借りましてお礼申し上げます。(下の写真は、後日改めて作ったエッグマフィンと、別の日の午前中に作ったからし蓮根です。)









3月になってもまだまだ緊迫した状況が続くかと思いますが、皆様にとって良い月になりますことを祈っております。引き続きご自愛ください。


投稿日 :
2021.02.28
投稿者 :
Tamaki

著者プロフィール

大学を卒業したのは25歳、就職に至っては27歳になってからというとんでもない遅熟児(遠藤周作の造語)です。

社会に揉まれていないMan childだなとよく揶揄されますが、実際のところの性格はナヨナヨした見た目通りで、事実そうであることも自認しております。「大人」「成熟」「貫禄」「成功」、実にどの一つの単語をとっても自分に似合うと思えないのが悔しくてなりません。

The Smiths, Radiohead, Nirvanaみたいな陰キャラかつフェミニストよりなバンド音楽が好き。それでいて伝統的な価値観に基づいた「男らしさ」の偶像、そしてそれに対する憧憬を全否定することのできない、実に扱いにくい迷子です。

在英経験もあります。結果的に独善的な性格を形成することになってしまいましたが、語学だけは一定期間で人並みの上達が出来たのではないかと思っております。換言すれば、それ以外何一つ社会に有用な能力を持ち合わせていないということにはなりますが・・・。

南流山の皆様は優しいので、こんな歪な僕でも暖かく迎えてくださいました。

心の支えとしての日常や、この土地の魅力を僕の拙い文章と乏しい語彙で、少しでも伝えていければ幸いです。