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レジデントブログ

3月は初っ端から言いたい放題
2021.03.03


唐突に変な宣言をしたところで読み手を困らせるだけなのは百も承知なのですが、今回はあえてこんな書き始めをしてみようと思います。


私は自分が日本人に生まれたことについて、良かったとも悪かったとも思っていません。自分が選んでいないことに対して誇りも恥も感じない、という言い方をするのいちばんぴったり当てはまるような気がしています。聞かされる人にしてみれば実に面倒くさい信条を持っていることは、一応自覚しているつもりではあります。


とはいえやはり、(相反するようなことを言うようですが)自分がいかに日本文化と密接に繋がっているのかを実感せざるを得ない瞬間は多くあります。子供の頃に慣れ親しんだ梅干しのおにぎりが今食べてもいちばん落ち着くのは、作家・ロシア語通訳の故米原万里さんがおっしゃるように、自国との切っても切れない関係がそう思わせるのものと理解しています。もちろん米が嫌いで小麦が好きな日本人だって探せばいると思いますし、何が人間を日本人たらしめるかについて、一概にこうとはなかなか言えないのかもしれませんが。


この「自国との切っても切れない関係」が功を奏したのか、最近になって「食」という切り口からは日本の良さを素直に感じ取れるようになったと思います。否、日本の良さを見つけたというよりも、欲しいものがその場にないことを嘆くのを止め、その場にあるものを慈しむという考えの切り替えに成功したと言った方が正しいのかもしれません。以前ある住人さんが「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの本の一節を紹介してくれたことがありましたが、同じ潮流の考えを見て取ることができます。


つまるところ、今ここにあるものを工夫してなんとか楽しく過ごそうという試みる人生の醍醐味を、三十歳を手前にしてようやく理解し始めることが出来るようになった、そういう意味ではやはり日本の良さを素直に感じ取れるようになったと言ってもいいのかもしれません。(屑具合に似合わぬ高尚な発言をするようですが、普段は文句ばかりで勝手に絶望していたかと思えば、少し時間が経つとつまらない冗談しか言えなくなるという始末です。こんな性格を恥と感じるどころか耽溺などしている自分の醜さは、一応自覚はしております。)


私は無駄に長い年月、一般的に食が貧しいと言われ、また言うまでもなく日本とは文化も異なる英国に住んでおりましたが、今思い返せば様々なものを美味しくいただき、それなりに現地での生活を楽しむことが出来ていたと思っています。風土、習慣、手に入る食材も違う海外で日本の食生活をそっくりそのまま実践しようと思ったらないものねだりになります。そんな環境でもある程度の満足が得られていたのは、私が現地で英国の良さを少しでも理解し、そこに馴染む過程をめいっぱい楽しもうという心構えがあったからこそと思っています。(海外生活への耐性は人それぞれで、また条件によることはもちろん理解しています。偉そうなことを言っていますが、元来屑な私が一瞬でも英国を嫌に思わなかったなんてことはもちろんありませんし、上に書いたような考えが絶対ではないことも理解していますので、そこは断っておきます。)



話を「日本人の意識」に戻します。食に限らず、外国で文化の違いを目の当たりにすることで日本人のアイデンティティに誇りを持つようになる人は少なからずいるように見受けられます。実際のところ、日本人であることを武器にして私のような三流人間とは比べ物にならないご活躍をされている方も多くいらっしゃいますので、もちろんこのような考えは持っていてよいものと考えています。ただ中には、どこか無理をして日本を過剰に意識している様子が否めず、「日本人の誇り」とか「日本人でよかった」などと本人たちがわざわざ口にするほど実際に日本を愛していない人もいるように見受けられます。余談ですが、こういうことを書いていると、坂口安吾の「続堕落論」を想起させるのは偶然ではないような気がします。


他に「やっぱり日本がいちばんいい」という発言もよく耳にします。これには私も想像力抜きで共感できる部分は多くあります。ただしこのような発言はあくまでも個人的な感覚であり、一般論としてステイトメント化するとある種の暴論になりうると思っています。というのも、たとえば日本在住の外国人にとっても日本に足りないものはあるはずですが、彼らの多くはそれだけを理由に母国の方が絶対的にいい国だと大っぴらに口にすることは決してないからです。食べ物の話ばかりになってしまいますが、池波正太郎が「よく大阪の人が『東京のうどんなんて食えない』というけど、本当の大阪の人は決してそういうことを言わない」と言っており、自分の土地が必ずしもいちばんではないということを知っておくべきなのだろうと私は理解しています。


まだ気づいてすらいないこともたくさんあるかと思いますが、パスポートの強さや、(一概には言えませんが)出身国が原因で悪い印象を受けることがあまりないことを考えると、自分が日本人であることにより受けている恩恵は理解しています。また、誇りも恥も感じないと言いつつも自分の土地を悪く言われると傷つき、腹が立つことを考えると、やはり切っても切れないアイデンティティに縋って生きている自分を再認識せざるを得ません。ただ私がたまたま日本で日本人の両親に生まれたことは、怒られてしまいそうですがどうでもいい(どうでもよくあるべき)いう考えに結局落ち着きます。それはやはり、自分が好き好んで日本人として生まれたわけではないからという考えが根底にあるからだと認識しています。


言ってしまえばどうでもいいことについてとりとめもなく延々と書きましたが、今回のぼやきはこれくらいにして、皆様には引き続きご自愛いただきたく思います。


投稿日 :
2021.03.03
投稿者 :
Tamaki

著者プロフィール

大学を卒業したのは25歳、就職に至っては27歳になってからというとんでもない遅熟児(遠藤周作の造語)です。

社会に揉まれていないMan childだなとよく揶揄されますが、実際のところの性格はナヨナヨした見た目通りで、事実そうであることも自認しております。「大人」「成熟」「貫禄」「成功」、実にどの一つの単語をとっても自分に似合うと思えないのが悔しくてなりません。

The Smiths, Radiohead, Nirvanaみたいな陰キャラかつフェミニストよりなバンド音楽が好き。それでいて伝統的な価値観に基づいた「男らしさ」の偶像、そしてそれに対する憧憬を全否定することのできない、実に扱いにくい迷子です。

在英経験もあります。結果的に独善的な性格を形成することになってしまいましたが、語学だけは一定期間で人並みの上達が出来たのではないかと思っております。換言すれば、それ以外何一つ社会に有用な能力を持ち合わせていないということにはなりますが・・・。

南流山の皆様は優しいので、こんな歪な僕でも暖かく迎えてくださいました。

心の支えとしての日常や、この土地の魅力を僕の拙い文章と乏しい語彙で、少しでも伝えていければ幸いです。