この世に、二人が一緒にいる時楽しいなんて、こんなこと、あまりそんなたくさんじゃないと思う。家族とか、友達とか、特に恋人。
ドキドキの感覚があれば、それはもちろんボナスと思うけど、私は最初からもドキドキの感覚がなくても、この一年間嬉しいと思う。理由は、恋愛の関係は、最初どんなたくさんドキドキがあっても、いつか、きっとだんだん少なくとも少なくなるはず。べつに悪いことと思わない。
自分と超似合う人がいるはず、一秒でも思わない。でも、80−90%くらいでもいいじゃないのかなぁと思ってしまう。
人間は生まれてからもう別々の個体で、性格、習慣、育て来た環境、言葉、色々全く違うし、二人が一緒にいる時、問題が現せる時、ちゃんと厳しく詳しくて話さずに、お互いに教えてくれないと、関係が良くなると思えません。
この世に7兆の総人口の中で、君と出会ってお互いに好きになって、あなたは、それでも珍しいと思わないのかなぁ 。。。偶然だけってと思うのかなぁ 。。。簡単に捨てても構わないと思うのかなぁ 。。。
時間はいつも私の天敵である存在している、多分私だけではなく、皆も、いつも一番嬉しくて幸せ時間に止めることができません。
一生できません。
生きていてから今まで、苦しい度に、何回も繰り返してアノ一番幸せ時に戻せばいいなぁと思ってしまう。何故か嬉しい時間はいつも短いんだろう?
昔、何でも分からなかった時代に、何でも満足できなかった時代に、 幸せとは一応試して、とても素晴らしくて、短くても嬉しいことだ、それもう十分の幸せだと思ってしまいました。短い嬉しさは幸せと思ってしまいました。
違います。もの凄く。
もっと生きてきて、それくらいようやく分かってきた。
短い嬉しさは、どれくらい素晴らしくても、幸せとは言えません。本当の嬉しさは、毎日幸せと思うそういうことです。
普通けれど、幸せなんてそんなことがあります。
この頃、今幸せと思う人が絶対にいるはず。
ただ、今の私は、幸せなんて全く言えません。
ずっとどうやって長く時間そんな気持ちを掴むことを考えていたけど、最近は絶対あのゴールまで、モット遠くなってしまう。
私の一部の大げさの性格のセイで、遠くなってしまう。
許してくれないのかなぁ。
軽く遊び言葉と気持ちをしなく、相手のことをリスペクトして普通の人間としてもう一度 。。。
映画 Matrix の中で、一つの言葉は ” この世界は、悲しさがなし、嬉しさもなし、でもこんな世界は、人間がいられない、全員はすぐ死んでしまいました。”
昔の私にとって、この言葉が響けなかった。
昔の超嬉しさと超悲しさを受けてしまった私は、この言葉の本当の意味が分からなかった。90%の嬉しさを受けたら、きっと90%の悲しさを待ってる。
今から、生きてるため30%の二つを受けても大丈夫かなぁ、君と一緒かぎり。。。











