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あたらしい共有について 第3回

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どんな人が好きですか、とよく聞かれる事があり、男女問わず答える事にしているのが「友人が少ない人」で、このような人は、極めて現代社会で信用がおける人物だと、僕は考えている。そのうちフォロワー数とその人の信用度は反比例すると、少し先の情報化社会で明らかになるのではないか、とすら思っている。 また、友人も少なく、SNSもやらないのに好奇心や知識が旺盛なのは、本能的に「なにか」を理解している証であり、その「なにか」こそが、情報化社会を生き抜くサバイバル能力のようなものだとも思う。安易に誰かに頼らない感じも、その力の本質のひとつだろう。なぜなら、「個人の時代」の本当の強さがそこに見え隠れするからだ。

そう、情報化社会を生き抜く本質的な力と、フォロワーの数は反比例する。すなわち、情報化社会を生き抜く力とは、安易にデジタル化された情報に捕われないことであり、自身の直感も含めたデジタル化されていない(出来ない)情報を中心に物事を判断することで、結果、デジタルソサエティの潮流とはまったく別の道をひとりで歩く力なんだと、まわりを見て感じる。

1800年代に「フロンティア」と呼ばれた米国西海岸の開拓者たちの真の力は「孤独」を乗り越えることだったという。「デジタル・フロンティア」と呼ばれる昨今のサイバー社会を見ると、安易なつながりを持たない「あたらしい孤独」が、きっと、この時代を生き残る強い力なのだろう。

ちなみに、僕はそれなりに友人も多いので、この定義にあてはまらないダメな部類な人物に入る。なにしろ、「友人が少ない人」が友人に多いので、結果友人が多くなる。

先日、30代、40代の「友人が少ない」友人たちと、この暑いのに炭火で鍋を囲んだ際に、少しオドオドしながら聞いてみた。

「ツイッターって知ってる?」と、尋ねると「なにそれ?」「聞いた事がある」「短いブログみたいなやつじゃなかったっけ」「見た事あるかも」(スゲーと、ここでその他の人驚く!)との回答。「でも、はじめ読めなくて。チーター!?かと思った(笑)」と。

素晴らしい!君たち、僕の最高の友人だ! しかも全員接客業の類いなので、話はメチャ面白い上に、人の話を聞かない人ばかりなので、全員の話がかみ合う事はない。しかし、皆強い「時代を生きる力」を持っている。

明日、世界中のインターネットが不通になり、TCP/IP上で動いているすべてのディバイスが誤動作をはじめ、相互コミュニケーションが一切取れなくなった時に、きっと彼らはこう言うだろう。

「なにか大変なこと、起きたの?」。

高城剛

1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。著書に『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。自身も数多くのメディアに登場し、NIKE、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。2008年より、拠点を欧州へ移し活動。現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。

www.takashiro.com

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