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レジデントブログ

モノと豊かさと
2021.05.16


基本的に外に出れない生活ですので、近頃の買い物には大手通販サイトを利用しています。前回紹介したケン・ローチ監督の「家族を想うとき(原題: Sorry, we missed you)」は既に観ているので、自分の消費の在り方が不当な搾取を助長し、またカーボンフットプリントを増やしていることについては、正直なところ少なからず罪悪感を感じています。「不当な搾取」などというと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、あらゆる種類のモノが注文した翌日に届くという異常な便利さの裏には、邪推かもしれませんが過酷な労働を強いられる人々へのしわ寄せが行っていることは想像に難くありません。環境保護の観点からだと、個人による影響などたかが知れているかもしれませんが、便利な消費生活が温室効果ガス追加排出の小さな担い手になっていることも、消費者としては一応自覚すべきと思っています。


そんな考えならばオンラインショッピングなどやめてしまえ、というごもっともな突っ込みが聞こえてきそうです。事実私はコロナ禍であっても外へ出ずに商品を手に入れることができるという甘言に乗せられ、また自らを甘やかしていますが、「文化的な生活を送るために今だけは通販が不可欠」という醜い言い訳じみた戯言をほざくこと以外なす術がないのは間違いありません。元来他人に対するリスペクトなどない人間が他人にも地球にも出来ることが何もないのは事実でありますが、それでも「なぜここまで便利なのか」を知ることで、荒れ狂った物欲が周りの人や地球を傷つけることを少しでもなくすことが出来ると信じています。


しかしこういうエラソーな机上の空論を後先考えずに書いてしまう馬鹿さ加減から、私のような人間は地球のことよりも自分自身の身の上を案じた方がよいことは見透かされてしまっているとも思っています。そもそもここの住人さんといういちばん身近な「周りの人」に対しては大人としての配慮など全く欠けるくせに、こういう変なところでしか高い意識を持たないのは我ながらどうかと思いますし、当然ながら人間としては煙たがられ、そして間違いなく嫌われることは一応自覚はしております。(どうでもいい余談ですが、物欲のことを書いていると「すさんだ心を持ったハニー、ヨーロッパ調の家具をねだる!」というある曲の一節を思い出さざるを得ません。)


金曜日の夜はそんなオンライン・ショッピング中心の消費生活を少しでもシフトしようと、恐らくおよそ1年は足を運んでなかったであろう新三郷のショッピング・モールに行って生活に必要なモノを買い込んできました。消費者としてどんな商品をどのような方法で選ぶのがいちばん正しいのか、私には結局皆目分かりませんでしたが、少なくとも異常な便利さという渦に飲み込まれることはなかったように思います。私の低スペックの脳みそでその答えが見つかるころには、地球が南半球の大部分が人間の住めない場所になっているかもしれません。


埼玉方面の電車は仕事帰りのお客さんで混んでいましたが、閉店間際のショッピング・モールは目論見通り空いていて、気兼ねなく買い物をすることが出来ました。私は決して買い物中毒ではないと思いますが、生活を豊かにするモノを購入するというのは精神に安泰をもたらします。精神に安泰をもたらす、などという書き方は大袈裟な表現かもしれませんが、下手をすると人を不幸にしうるモノの特性をよく知り、そのモノに上手に自分を幸せにしてもらう方法を知っている人はとても尊敬に値すると思っています。以前何人かの住人さんには部屋を見せていただきましたが、明らかに私より持っているモノは多いのにもかかわらず、整理整頓が行き届いているため非常に過ごしやすい空間を演出されている方が多く、私のような不器用な人間には到底真似できないものであります。それに比べて殺風景なのに落ち着かない私の部屋は、退屈、不安、焦燥、といったありとあらゆるマイナスなものがすべて詰まっているような気がしており、なんとかしたいのにどうにもならないこのセンスの無さに絶望、如何ともしがたい気分に襲われることもあります。


かくしてまたしてもこの馬鹿の時間は無益に消失しましたが、写真を載せるルールになっていますので、買ったモノの一部を紹介することにしましょう。見せられる側としては実につまらんでしょうが、こちらは某大手北欧系家具店であらかじめ買う予定でいたガラス瓶と、買う予定がなかったにもかかわらず綺麗な絵柄によって購買欲を刺激され、そして私が余分な消費をした結果数百円と交換された麦酒です。欲望に屈する絶望の味を言語化することが出来ない私の能力の無さにはいつも呆れるばかりです。



皆様引き続きくれぐれもご自愛ください。


投稿日 :
2021.05.16
投稿者 :
Tamaki

著者プロフィール

周りの人間が順調に自立して自活できる大人になっていく一方、私が大学(学部)を卒業できたのは25歳、まともに就職した時に至っては27歳になっていました。「遅熟児」という遠藤周作の造語がありますが、そもそも大人としてきちんとこなせることが一つもない私は青い実のまま腐っていく運命にあると思っています。汚らわしく醜いオコチャマ状態を30歳を目前にしてもなお脱せていないわけで、時々本当に生きていていいのかと疑いたくなることもあります。

だからこそThe Smiths, Radiohead, Nirvanaのような音楽の歌詞は沁みます。それでいて伝統的な価値観に基づいた「男らしさ」の偶像、そしてそれに対する憧憬を全否定することのできないのは、私が実に扱いにくい迷子であるということは一応自覚しています。

かっこつけでイギリスに住んでいた時期もあり、語学だけは一定期間で人並みの上達が出来たのではないかと思っております。でもこれも裏を返せばそれ以外何一つ社会に役立つ能力を持ち合わせていないということで、要は使いにくい役立たずでいることに甘んじてきた代償を私には払う義務があるということです。

人によっては僕に生きている価値などないとおっしゃる方もおられると思いますし、正直私も少しそう思っています。でも南流山の皆様は暖かく迎えてくださいました。文章は拙く語彙は乏しいですが、心の支えとしての日常やこの土地の魅力が少しでも伝わればと思います。