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あたらしい共有について 第7回

コラム7イメージ

久しぶりにキューバに出向いた。キレイな町並みになって首都ハバナはすっかり変わってしまった、と訳知り顔で話す旅人は多くいるが、ソ連が崩壊し、国家破綻同然、そして全国民が食料危機だった当時を鑑みれば、いまのキューバは「良いバランス」なんだと思う。

過去二十年で、大きく変わった国はキューバに限らないが、この町並みが他の急成長した街とは大きく異なる点が一カ所だけある。それは、いまだに街に広告が一切ないことである。

キューバは社会主義だから、とは方便で、ヨーロッパでも「街の美観はその街に住む人々の道徳」であり、町並みは「共有」すべきものであると理解されているので、一部の地域を除いて、二階以上に広告を出す事を禁止している。例え自分のビルだろうが店だろうが、町並みはその街に暮らす人々の「共有」空間なので、勝手が許される事ではない。

もし、渋谷の駅前に一切の広告がなかったら、一体どんな風景になるだろう? この文章をお読みの何人が、それをイメージ出来るだろうか?そして、その広告がないことは、渋谷の駅を日々通る何百万人もの人々にとって、なにか都合の悪い事があるのだろうか?

もし、街頭から一切広告が消える日が来たら、問題になるのは広告を出せない企業であり、その広告費を受け取れない不動産所有者、そしてそこをつなぐ広告代理店だけだ。広告をバンバン打たなければ、経済がまわらない、というのは完全な言い訳であり、ヨーロッパの主要都市を見ても、その間違いは明らかである。

なにより問題は、多くの日本人が、企業と不動産によって、頭の奥深くまで広告や情報の侵入を許していることにある。だから、もし東京の街から一切の広告がなくなることをイメージできないのなら、それはもう個々の頭のなかが広告漬けになっている証なのだと思う。なので、一刻も早く、頭のなかをクリーンナップしたほうがよいだろう。旅に出るなりして、大自然を見ながら、広告漬けではない「正気」の風景を取り戻した方がよいだろうし、いま、多くの人々が暮らす日常空間が、広告による「狂気」の街であることを、冷静に理解できるだろう。

そんな旅先のひとつは、間違いなくキューバで、どうせ行くなら早い方がいい。ハバナの街に、スターバックスが出来てしまう日までに。

高城剛

1964年葛飾柴又生まれ。日大芸術学部在学中に「東京国際ビデオビエンナーレ」グランプリ受賞後、メディアを超えて横断的に活動。著書に『「ひきこもり国家」日本』(宝島社)、『オーガニック革命』(集英社)、『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)などがある。自身も数多くのメディアに登場し、NIKE、NTT、パナソニック、プレイステーション、ヴァージン・アトランティックなどの広告に出演。総務省情報通信審議会専門委員など公職歴任。2008年より、拠点を欧州へ移し活動。現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。ファッションTVシニア・クリエイティブ・ディレクターも務めている。最新刊は『時代を生きる力』(マガジンハウス)を発売。

www.takashiro.com

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