オークハウス吉祥寺2」カテゴリーアーカイブ

終わりのはじまり

今僕の部屋は足の踏み場はあるが、かなり散らかっている。
物は着実に片づけているつもりだけど、この3年半分の荷物が押入れの奥から次々と出てくる。
仕事は今月いっぱいで退職。大阪からスリランカへ飛び立つ。
3カ月ほどスリランカで滞在して、その後インドへ。
ロイヤルエンフィールド。バイクを買うつもりだ。そうしたら修理の仕方も覚えないといけない。
友人に聞くと3~5万ほどで中古が買えるらしい。
南から北へ。バイクはいらなくなれば売ればいいし、最悪、壊れても諦めのつく値段だ。
それからタイとベトナムに住む友人を訪ねようと思っている。
タイの友人は吉祥寺で一緒の家に住んでいた人だ。
この3年半は一度も海外へ出ていないので久しぶりの海外旅行。
いよいよ出発が近づいてきた。

3年半オークハウスに住み、いったいどのくらいの人と出会ったのだろう
今の家の人たちとは最近こそあまり交流が無くなったが、家族のような存在だ。
多くの時間を一緒に共有した。とても良い人達に恵まれた。

この場を借りてお礼を言いたい。

このブログも書き始めて2年ほど
めんどくさいと思う事がよくあったが、これで最後。

刺激的な東京の生活もあと少し。
おわりのはじまりははじまりのおわり
よくわからなってしまったけど、
また春の終わりに一度帰ってくる予定なので、そのときを楽しみにしています。

でわ

東京を離れる

いよいよ日本を離れる日が近づいてきた。東京に引越してきて早3年半が過ぎた。ほとんど吉祥寺に住んでいて、オークハウスを通してたくさんの人達に出会えた。
まず思い出すのは去年の大震災。あれからしばらく不安な日々が続き、ハウスのみんなで助け合った。なんかみんな家族みたいになれたなー。家に帰ったときに灯りが付いてるのが嬉しかった。相談にのったりのってもらったり。一人では大変だったこともたくさんあった。色々な人に出会い別れ、彩り豊かな東京生活が送れたと思う。吉祥寺という場所に住めたことも大きかった。東京に出てきて間もない頃、オークハウスに住んでる友人を訪ね井の頭公園に連れて行ってもらったとき、ここだ。と思ってすぐに引っ越した。刺激が多くとても魅力的な場所。
ハウスの人とよく飲みに出かけた。3年半経った今でもここに住んで良かったと思ってる。
来月のあたまで仕事も終わり。
あと2週間。今度は僕が送り出される番。
なんだか実感ないなー

渋谷で12年ぶり

今日はNYにいたときの友達と渋谷で食事。
僕がNYにいたのは12年前。8か月ほどだったけど、マンハッタンで生活していた。
その頃よく遊んでいた友人たちとは、いつの間にか連絡が取れなくなってしまった。
今みたいにFacebookやmixiなんてなかった時代。
しばらくはEmailで連絡を取り合っていたけど、筆不精のせいで気がつけば音信不通に。
当時使ってたメールアカウントは迷惑メールが9割を占めていた。
今ではパスワードどころかアドレスすら忘れてしまった。
かろうじて連絡を取り合っていた数人のうちの一人からある日連絡がきた。
Facebookで一人を見つけたのをきっかけに芋づる式にわさわさとNYの人達が見つかったのだそう。
今では8人ほどでLINEでグループを作ってるからお前も参加しろ。そんな内容だった。
僕もみんなを探していた時期が何度かあったが、見つかる気配がなかったのですっかり諦めていた。
まさかまたこうやってつながれるなんて、文明さまさまだ。
今日はそんなうちの一人と渋谷で会う。
12年ぶり。話に花が咲きそうだ。

先週

忙しい忙しい。
東京を離れると決めたら、やりたいことだらけになってしまった。
荷造りもそこそこに、出歩いてばかり。
しばらく家に帰ってなかったら、リビングは改装されてる。
新しい人もたくさん入居したようだ。
空いてる時間を見つけると予定をびっちり詰め込んでしまうのは悪い癖で、
ここ2週間くらいの予定はすでに埋めてしまった。
先週はトミーエマニュエルのライブを見に行き、翌日はハウスメイトと横浜ジャズプロムナードへ
音楽で満たされた週末。東京はあきないなぁ
今から仕事だ。あー忙しい忙しい。

富士のふもと

富士山に登った翌週は富士のふもとの朝霧高原へ
樹海を超え、12年に一度のいのちの祭りへ
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最高の天気に最高の祭り。
ここで3泊4日のキャンプ生活。
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友達とも合流。10人の大所帯に。
気球が上がり、さらに高揚。
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夜のステージ前には火が昇る。
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朝食を作る。
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夜が来て再び朝がきて。
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あっという間の3泊4日のキャンプでした。

絵葉書

先日ポストを開けると珍しく絵葉書が届いていた。
富士山山頂から残暑お見舞い申し上げます。とハンコが押してある。
いま山小屋で働いてる、登りにおいでよ。友人からだった。
絵葉書の送り主とはニュージーランドで出会って、その後彼は山歩きに目覚め各地の山を歩いている。
1年ほど会ってなかったが、今は富士山にいるようだ。

それまで富士山に登るなんて正直あまり現実的には考えてなかったけど、この手紙がきっかけになり、じゃあ行ってみようかなという気持ちになってきた。とりあえず誰かを誘おうと声を掛けてみたが、なかなか平日に泊まりで富士山に登れる人はいない。ただ人に聞いていくうちにわかったことがあり、9月は人が少なくて登るには良い時期らしい。
誰もつかまらないなら一人で登ろうと決めた。
彼のいる7合目の山小屋はかなり寒いと言っていた。山頂はもっと寒くなるので防寒着は忘れないように。
雨具も忘れてはいけない。雨が降ったら最悪だ。気温が低い中濡れて風が吹く。
出発の前日に山小屋の友達に電話を入れた。Jくんを誘ってみたらと言われた。
Jくんは山小屋と共通の友人でNZでは一緒によく飲んだ。でも平日は働いてるんじゃないかな。
一応、明日富士山行かない?とメールを送ってみた。
荷物をまとめて買い出しに出かけた。素泊まりで行くので食料、水は持参だ。できるだけ軽くしたい。でも山でひもじい思いはしたくない。色々考えて買い物をした。
家に帰るとJくんからのメールの返事がきていた。返事は意外にも大丈夫とのこと。一緒に登ることになった。
Jくんにもしばらく会ってなかったので、富士山でNZ時代の同窓会になりそうだ。
その夜バスのチケットを予約した。

朝9時にJくんと新宿西口で待ち合わせをしてバスに乗り込む。
富士山5合目にはお昼前には辿りついた。天気は今のところ大丈夫そうだ。

富士

5合目で持参したパンを食べてから登山道に入った。
ガスのせいで下の景色はあまり見えない。
2時間半ほどで7合目の山小屋に辿りついた。15時を過ぎたくらいだった。
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絵葉書の主の友人には会えたがまだ仕事中でゆっくり出来ないそうだ。
テーブルを出してもらい、僕とJくんは持ってきた焼酎で早めの晩酌を始めた。
気持ちよくやっていると、知らないおじさんがやってきて一緒に酌をすることになった。
話を聞くとフリーの編集者の人で富士山が世界遺産になる前に写真を取りに来たのだそうだ
その後、同行者の女性も混じり、話は色々な話題へと移り盛り上がった。
あっという間に日は沈み、夜景が姿を現した。
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友人の仕事が終わるのを待ち、夜のデッキで明日の打ち合わせを始めた。
頂上でのご来光でも良かったが、暗い中登り寒い中での待ち時間が長いという。
それならば、ご来光を山小屋で見ればゆっくり休めるし、景色を見ながら頂上を目指せる。
結局僕らは朝は山小屋でゆっくりしようという結果に落ち着いた。
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翌朝、山小屋のデッキからご来光を拝み、朝食を食べてから3人で登り始めた。
天気が良い。はるか下まで見渡せる。見える日はスカイツリーも顔を出すそうだ。
登り続け、体力的にはいくらか余裕を残し頂上にたどり着いた。
3人で座りこみ山小屋で貰ったおにぎりの入った包みを広げる。
一息ついて身体を休ませる。まだここがゴールではない。
一番高いのはあそこだよ。とだいぶ向こうに見える丘を指す。剣ヶ峰だ。
ここからお鉢巡り。まだまだ歩く。
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頂上に登っても火口を一周する人はあまりいないそうだ。
ここまで来てもったいない。ガスってて下の景色は見えなかったが、逆にそれが神秘的な雰囲気を高めていた。

一周したところで、休憩もほどほどに下山道から再び登山口へと歩き始めた。
ボロボロになって再び登山口に辿りついたときはまるで国境を歩いて渡る気分。
帰りのバスの時間10分前だった。
山小屋から絵葉書をくれた友人と急に誘ったのに一緒に登ってくれたJくんにありがとう。
初富士登山とても良い経験になった。また登りたい。

神輿

先週は友達に誘われるまま下北沢のお祭りに行った
友達の知ってる神輿のグループを見つけるために下北の街をぐるぐる回った
歩いていると神輿を囲むように半纏を着た人々がいた。
商店街ごとに神輿を持っているのだろうか、歩いていると適度な間隔をおいて神輿と半纏がいる。
目的の町内会を見つけたと同時に人々が声をあげた
神輿が持ち上げられ、掛け声と共に神輿が縦横にと揺れ、鈴が鳴る。
えいさ!おいさ!えいさ!おいさ!
実際に何て言っているのかはわからない。すごい熱気だ。
祭りが始まった。
神輿が向かう方へ僕たちも着いて行った。すると友達が自前の半纏を着て神輿の方へと歩き出した。
神輿の脇へ潜ると、神輿を支える丸太に腕をまわした。
えいさ!おいさ!えいさ!おいさ!
一人だけ違う半纏を着て担ぐ彼を誰も気にすることなく神輿は前へと進む。
掛け声と笛の音がリズムを刻み皆が一つになり、熱気はさらに上がる。
しばらくして友達が神輿を離れこっちに来たかと思うと、自分の半纏を脱いで僕に着ろという
担いだほうがいい。
僕は言われるままに神輿に向かった。丸太の下に肩を置き、腕をまわす。
注意しなければいけないのは、丸太を肩から離さない事。
上下する神輿とのタイミングがずれると肩を強打してしまう。

中学校の頃やってた遊びを思い出した。まず一人がイスに座る。それを他の4人が囲む。
その4人がそれぞれ両手を組んで、人差し指を出す。それをイスの人の右脇、左脇、足の両脇に差し込む。
せーの、で組んだ人差し指だけでイスの人を持ち上げる。一回目は持ち上がらない。
そして2回目はイス以外の4人で手を重ね合わせ息を吸って吐いて、呼吸を合わせていく。
それを10回ほど続けた後で、同じことをやってみると4人の人差し指だけでイスの人は天井まで持ち上がる。
持ち上げた人も持ち上げられた人も驚いてしまうという遊び。

最初僕はそれと同じでみんなの息が合い始めると神輿は軽く感じると思っていた。
それが間違いだったことにすぐ気付かされた。
重い。肩が痛い。それでも、えいさ、おいさ、とやってるうちにアドレナリンがカッカと溢れだし
すっかり自分が飛び入り参加していたのを忘れてしまっていた。

人生初神輿。とても良い経験をさせてもらった。
僕の担ぎ方が下手くそだったからだろう。
まだ肩がいたい。

思い出の一枚

職場で同僚と空いた時間に何気ない話をしていた。
話題が転々として、いつの間にかお化けの話になっていた。
同僚の一人が写真現像の専門学校に通っていたのを知っていたので
小学校のころに見た、ある写真の話をしてみた。
修学旅行のあとに展示販売されていた写真。クラスの女の子がバスの中で腕を上げてピースをしている。
おかしいのは、その子の肘からはっきりともう一つの腕が延びているのだ。
後ろの人の手ではないし、どう見てもその子の肘からはえていた。
女の子は泣き出して、クラスの子たちが慰めていた。
その写真は少しのあいだ学年中で話題になった。
その後どうだったとかは覚えていない。いつの間にかみんな忘れてしまったのだろう。
ただ、その写真の映像は衝撃的だったので今でもはっきり覚えている。
そんな話をすると同僚は、前に撮ったフィルムの映像が映り込んでいるのだろうと言う
現像しているとたまにそういう写真が出来るそうだ。
人間の脳には、3つの点があれば顔に見えるようにプログラムされているという話も聞いたことがある
心霊写真のほとんどがそういった現象らしい。
僕の年齢のせいもあるだろうけど、デジタル映像が出てきてからはそういう心霊映像が一切怖くなくなった。
簡単に合成も出来るし、説得力に欠ける。
テレビはほとんど見なくなったけど、最近はそういう番組があまり無くなっているようなきがする。
小さい頃は心霊番組が好きでよくテレビにかぶりついて見ていた。
今の子供は何に好奇心をくすぐられるのだろう?
別に何かを信じているわけではないけど、
同僚に心霊写真の話をバッサリ切られた時は、サンタはいないよって言われたときのような少し寂しさをおぼえた
小さい頃の思い出として胸にしまっておいてもよかったなと思ったりもした。
気がつくとみんなはすでに別の話題に移っていた

転倒未遂

福生からのバイクに乗った帰り道、コンビニを通り過ぎた直後に買い物を思い出してスピードを落した。
そのままUターンしようとしたとき、バランスを崩してバイクの車体が傾いた。
バイクが地面に向かって落ちていく、支えているのはハンドルを握りしめた僕の右手だけ。
そのまま身体ごと地面に倒れるかと思った瞬間。無意識に残る右手に思いっきり力を入れて引っ張った。
背中からピキッという音が聞こえ、160kg以上ある車体を持ち上げていた。
火事場の馬鹿力というやつなのか。

人は何かのタイミングで自身のリミッターを外し、とてつもない力を出す。
米ミシガン州に住む15歳の少年が、900キロを超える車を持ち上げ、下敷きになった祖父を無事に救出したという話もある。
900キロというのは信じがたいが、車を持ち上げたのは事実のようだ。
人体の筋肉はふだんは出せても50~60%ぐらい。
本来持ってる力を出し切ってしまうと筋繊維が切れて、組織を破壊してしまう。
砲丸投げの選手などが投げる瞬間に叫ぶのも脳のリミッターを解除するためだそうだ。

そんな力を出してしまった僕の身体はというと、
背中と腕に多少の筋肉痛が残るのみ。
身体とバイクが無事でなにより。安全運転心がけます。