月別アーカイブ: 2011年7月

ワイン

部屋に置く追加の棚を買いに、南砂町のニトリへいってきた。

買い物ついでにニトリの並びにある酒屋さんでワインを買ってきた。チリ産のピノ・ノワール。昨日の夜、初めて飲ませてもらっておいしくて、聞いてみれば3000円くらいとのこと。いつも飲んでるワインとそんなに価格も違わないので、品種が相性いいのかなと思って2本購入。

久しぶりの平日家ごはん

今朝、朝ごはんを食べていたら同居人の人に抹茶とお茶菓子もらった。うまかった。

抹茶とお茶菓子

今日は、抱えていた仕事がひとつ終わって納品した。並行していくつか動いている仕事もステータスは待ちなので、今日は珍しく21時台に会社をでられた。しかも金曜日。嬉しい。

帰ってきて、ちょっと古くなった玉ねぎ5個をなんとかしたくて、早く上がったこともあって全部飴色になるまで炒めた。

飴色玉ねぎ

初めてここまで炒めたけど、まだ甘みが足りない。次回はもっと甘みが出るようにしよう。
この玉ねぎを使ってカルボナーラを作った。

カルボナーラ

コショウがなくて、塩だけじゃ物足りないなと思っていたところにコンソメを見つけたので、コンソメで味付けをしたら悪くなかった。ちょっと味がうすっぺらかったので、チーズとか、何かのハーブを入れたら深みが出そうだなあーと思いつつ、でもアイディアがない。

明日は昼まで寝る。

プレミア会員

オークハウスには、家賃が割引になる「プレミア会員」というプログラムがある。僕の住むプレミア木場では最大15000円引きになるということで、今日最大の割引が受けられるようになるまで保証金を追加した。

お金あっても使う時間も当てもないので、これで家賃が安くなるなら嬉しい。

今夜も自宅で朝まで仕事。ねむいよ。

ごはんのこと

楽しみの料理はもう手のこんだものを作る余裕はなくて、週末はナスの揚げびたしとピーマンの肉詰めをつくった。

ナスの揚げびたし
ナスの揚げびたし

ピーマンの肉詰め
ピーマンの肉詰め

あと8時間後には仕事をしている。今週は何回夕ごはんが食べられるかな。たまには平日もゆっくり家でごはん食べたい。

ジョギングのこと

3月に転職をして、ようやく仕事にも慣れてきたこともあって、寝るのが平日は早ければ3時、おそければ6時の日々が続いている。楽しみだった週末の料理のことも考える余裕もなく、週末はもっぱら寝る、走る、食べるに終始している。

こんな生活を乗り越えるためには、いかに体力を使わないかとか、いかに早く体力を回復するかという考えは役に立たなくて、いかに体力をつけるかということが最も重要。

そんな理由から始めたジョギングだけれど、はじめてから一ヶ月くらい毎週末土日に継続できている。すごい、自分。

木場公園は一周が3.5kmのジョギングコースになっていて、7月23日(土)に初めて3周(10.5km)を通しで走ることができた。これは嬉しい。翌日7月24日(日)も同じく3周。継続は力なりとはよくいったもんだなあ。ちゃんと冬になっても継続できていることを当面の目標にして、最終的にはどこかのマラソン大会に出場して42.195km完走してみたい。

それにしても今の時期の木場公園は本当に気持ちがよい。来週も走るのが楽しみ。

ゆったり週末

プレミア木場 岡崎です。

今週は昨日と今日がお休みで、明日から仕事か〜と思うと少し萎えております。

昨日はジブリ映画「コクリコ坂から」を見て、キュンキュンし、素直に愛情表現出来る可愛らしい女性になりたいな〜なんて思ってしまいました。

ジブリ映画の曲はいいな〜と久しぶりに感じ、今回の映画もピアノ系の曲が素敵でした★

あと夜は久しぶりに会社同期と飲みまくり〜会社辞めて企業する友達も出て来て刺激を受けたり、人生楽しまなくっちゃと、改めて思ったりしました。

今日は今から英会話に行って、ヨドバシカメラにかわいい一眼レフのカメラを見に行き、大学時代のテニス部学年をこえた飲みに行ってきます。

昨日のお酒が抜けてないので、今日はほどほどに。。。

そうそう!!今日はプレミア木場ではたこ焼きパーティーが行われます!!

17:00から一応スタート??

誰でも歓迎いたしますので、是非ご参加下さい:)・・・私幹事じゃないけどねwww

たこ焼き食べたかったな・・・;(

3年前に送ってもらうはずだった荷物4

肝心の荷物は埃を被って3年前と同じ場所にあった。
何を入れたか忘れていたので中身を確認したかったが
もうすぐ彼が仕事に行かないといけないので時間があまりない
東京に自分で送ると言うと彼が「それくらいなら俺がやるよ」と申し出てきた
僕の過去の経験がまた届かないぞと言ってきたが
それを振り払い今度こそはと信用して彼に荷物を再び託すことにした。
東京の住所を書き残し、僕の番号とメールを登録するように伝え、一緒に家を出た。

それから2カ月してやっと着払いで大阪から大きな段ボール箱が届いた。
中に特に必要としているものは入ってなかったが
3年前の記憶が中身を取り出していくにつれてよみがえってきた。
何よりその汚ない段ボールが幼なじみと再びコンタクトがとれるようになった証拠のようで嬉しくなった。
今回は時間がなかったのでその朝にしか会う機会はなかったけれど
次に大阪に行く時は彼とゆっくり酒でも飲みに行きたい。

3年前に送ってもらうはずだった荷物3

「おお、りょうすけ、お前いつ大阪帰ってきた?」
少し驚いていたけれど、声はいつものトーンだった。
あまりに反応がうすかったので拍子抜けして何も言えなくなってしまった。
部屋にあがらしてもらい、彼は煙草に火をつけた。
彼自身に変わりはないようだ。
話を聞いていくうちに色々わかってきた。
まず僕がニュージーランドで送付先の住所を知らせた直後に
PCが壊れてしまいメールもスカイプも出来なくなった様で
僕のメールもそれ以来見てないという。
今でもその壊れたPCは部屋の隅にあり、埃をかぶっていた。
新しいものは買っていない。
彼はかなりものぐさな人間なのでPCのなくなった状態で
ムリして国際電話をかけてくるとは考えられないので僕に連絡しなかった訳は理解できた。
僕が帰国してから手に入れたケイタイからかけた電話に出ないのは知らない番号には出ないからで
メールは知らないアドレスのメールは届かないようにフィルターをかけていて届いていないらしい。
そして荷物は送ろうとしたけど、送れなかったと真面目な顔をして言われた。
幼い頃からの付き合いなのでどういう人間なのかは知っているし、
正直荷物のことなんかは今となればどうでもいいと言えばどうでもよかったので
一応全てに納得はできた。
何がきっかけかはっきりわからないまま幼馴染との3年間の音信不通
ずっと頭の片隅にあった問題が解決しただけで十分だった。

3年前に送ってもらうはずだった荷物2

今年の5月に大阪に行く機会ができた。
早朝に着く便でちょうど予定まで時間が空いていたので
出勤前の彼の一人暮らしの家に行ってみることにした。
まだ同じ部屋に住んでいるのかもわからない。
荷物はどうしたのか。
どうして電話にでないのか。
今までどうしていたのか。
聞きたいことは沢山あった。
もしも僕に何かの理由で腹を立てていて無視しているのなら構わない。
ただ一度会って話がしたいと思い、彼のアパートの階段を上り部屋の前に立った。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、ドアをノックした。
返事がない。もう一度さっきより強めにノックした。
部屋の中から寝ぼけた感じの声が聞こえる。
彼の声だ。まだ同じところに住んでいた。
少しして玄関に向かってくる足音が聞こえてきた。
相手は僕が大阪に来ていることなんてもちろん知らない。
3年間、電話にも出ないし、メールの返事もない。
彼が荷物をニュージーランドに送らなかったことに対して
僕に何かを言われるのがめんどくさいから連絡を無視しているのだと僕は思っていた。
そんなことで3年も電話を無視するなんて。
最初になんて言ってやろうか色々考えていたけど
足跡が玄関に近づいてくるにつれて、久しぶりの再会に少し緊張してきて
頭に用意していた言葉が真っ白になりそうだった。
入口のドアがゆっくり開いて彼がその隙間から顔を出した。

3年前に送ってもらうはずだった荷物1

今日大阪から大きな段ボール箱が着払いで届いた。
中には昔の服、サーフボードのフィン、ウエットスーツ、楽譜など色々入っていた。
しばらく音信不通になっていた幼馴染に預けてあった荷物だ。

そのころ僕はニュージーランドで生活を始めたところで
その荷物は日本から送ってもらうために箱につめて彼に事前に預けていたものだった。
新しいニュージーランドの住所が決まったので、送付先のアドレスを知らせ、届くのを待った。
しかし、いつまで経っても彼が荷物を送ったという連絡がないので
送料も多めに渡してあったのに何してるんだと痺れを切らせて
催促の電話をかけてみた。
向こうの電話は鳴っているが、しばらく待ってみても出ない。
その後も連絡を取ろうと電話を何度も掛けてみたが、いつも応答がない
それっきり理由もわからず、いつが最後だったのかも分からないまま音信不通になってしまった。

ある日手紙を書いて送ってみたが返事はない。
地元の友人に聞いてもどうしてるのかわからない。
打つ手は打ち尽くしたと思ったところで、最初の怒りが徐々に心配に変わり
その後も思いだすたびに電話を鳴らしてみたけれど、彼の声を聞くことは出来なかった。
病気か事故で入院でもしてるのだろうか。
2年前に東京に移り住んで、それからも連絡を取ろうとし続けているけれど
彼の行方はわからないままだった。
大阪の家に直接訪ねに行ってもよかったが、なかなか機会をもてないまま
思い返すとあれから3年が過ぎた。