
こういうピンクと水色のコントラストは好きなのですが、桜を素直に慈しむ感性が私のようなひねくれものには欠けているようです。否、確かに桜自体は美しいと思いますが、それを取り巻く「何かが始まる予感に喜びを感じる」という言説に、なかなか共感出来ずにいます。何かが始まることに対してワクワクできるのはそれでけ安泰で健康な生活を営み、心に余裕がある証拠で、私のようになんの取り柄もない人間にとっては、始まりが不安にしか思えないからなのかもしれません。
始まるということはまた、必然的にいつか終わりがやってくることも意味します。そういった意味では、桜というのは終わりの始まりを象徴しているとも言えます。某有名歌手が歌うように、実際に「刹那に散りゆく」性質もありますし、そう考えると桜という花はただ「きれい」という言葉だけで片付けるには何か物足りないややこしさを孕んでいるような気がします。以前ある住人さんに、弘前城で散った桜の花びらで満たされた川面の写真を見せていただきましたが、私はただの満開の桜より、散った桜が織りなす美しさを好みます。坂口安吾の「桜の森の満開の下」でも、降り落ちる桜の花びらが人の終末を美しく見せており、感傷的な場面を演出するのに重要な役割を果たしています。非常に面白い作品ですので、気になる方は是非読んでみてください。
桜というのはまた、パステルカラーで決して主張の強い色ではないにもかかわらず、多くの人の心を奪っていきます。大声で主張するくせに話のつまらない私は、桜のこういう性質に大いに嫉妬、反感を感じています。対照的にビビッドな赤で前面に、時に壮大に主張する紅葉の方が潔い美しさがあり、私はどちらかというと桜より紅葉に好感を覚えます。ただそもそも中身のないことを大声で叫ぶ私のような人間は、まず中身をどうにかすべきということをいい加減桜から学ぶべきでもあります。結局私が桜を素直に好めないのは、このようにして自分が駄目なのを桜に突きつけれらているように感じるからかもしれません。全くもう、嫉妬が過ぎます。
桜を素直に愛さず、すでに紅葉が待ち遠しいひねくれ者にとって、春は決してフェイバリット・シーズンではありませんが、近くの川に咲いている菜の花はとてもきれいです。暖かいと眠くなるので、もう少し頑張るためにもコーヒーを飲んでこようと思います。皆様、感染も拡大しておりますので引き続きどうかご自愛ください。




























