月別アーカイブ: 2010年1月

Random

Gave up and ordered Ciel magazine from Amazon. And a couple of others which seemed interesting.
Seriously wanted to get Tres Tres issue from February, but it’s sold out everythere. I can try and get it from Amazon Market, but with attachment included it’s 800 yen+. *sigh* So no Suzuki-san bag for me. Though I could possibly reconsider.

Had wonderful time with a friend yesteday <3 First Shibuya, after that – Roppongi. Totally mabushii %)
And speaking with her made me realise something again. I have my ichibans-nibans-nanbans and all. But overall I think I mostly fit as "panjohnnys" fan. I like too many of them to be bound by only one fandom. Hm. To think of it I'm not sure if I even NEED any fandom to swoon over some of them.

This is also the reason my room is full of whole magazines. Sanity tells me I should just cut out the articles/posters I want and throw outgive to someone the rest. But I like too many of them to do so. And this possibly also has something to do with my bookworm childhood. Because I'm appaled even by writing inside a book with a pen. Oh the horrors!

映画を見ました

映画を見ました。
「秒速5センチメートル」
物語のタイトルとして、とても面白いですよね。
作中で語られていますが、サクラの花びらが舞い落ちる速度だそうです。
もしかしてこの世で一番素敵な速度表記なんじゃないかな?
秒速5センチメートルは2007年に公開された新海誠の短編3部作アニメーションムービーです。
タカキとアカリという2人の男女の心の距離の移ろいを、優しく、あるがままに描いています。

私たちの日常では、ドラマや映画のように、恋愛においてドラマチックな出来事というのはそうそう起きるものではなくて、多くは2人の歩みの速度や、進む道などが違えたときに、ゆっくりと「さよなら」の気配が近づいてくるものだと思います。
そこには暴力やののしり合いや愛の叫びが必ず存在するわけでは決してなく、ごく当たり前に、静かに別々の道を歩み始めるものです。
…たぶん、割合的にはそっちの方が多いと思います。

私はドラマのシナリオを書いているのですが、性質上必ずストーリーにその流れの妨げになる障害(カセといいます)を置かなくてはならなくて、それが面倒で苦痛であることがたまにあります(たまにか?)。
この「秒速5センチメートル」には、そういうドラマチックなカセがほとんどなく、ストーリーは、私たちの日常とかなり近いところでゆっくりと進んでいきます。
それゆえに親近感がわきやすく、囁くようにしゃべる登場人物たちの台詞も、自然に心に浸みていきます。
これはきっと、背景やキャラクターまで、現実よりも多くの部分を思いのままにデザインできるアニメーションだからこそできたことだと思います。
実写でここまで、ある意味心の原生風景とも言える世界観を表すことは難しいんじゃないでしょうか。

日本のアニメーションの新たな可能性に出会った気がしました。

見た後に、青春時代の懐かしい感情の余韻を楽しめるあたたかい作品です。

映画を見ました

たとえどんなに離れていても、たとえどんなに時がたっても、伝わらない思いは決してない。
「ほしのこえ」を見て、そう感じました。

「ほしのこえ」は新海誠の個人製作アニメーションで、2002年公開以来、数々の賞を獲得してきた作品です。

中学3年のノボルとミカコは、互いを想い合っているが恋人同士ではまだない。
2人は同じ高校へ進学することを夢見ていたが、ミカコは中学卒業と同時に国連宇宙軍へ入隊することが決まっていた。
ミカコが宇宙へ旅立ってからも何ヶ月かは、時間はかかりながらも、宇宙と地球とでメールのやりとりを続けていた2人だったが、ミカコの乗る宇宙戦艦リシテアは、急遽8.7光年離れた惑星アガルタへワープすることとなる。
2人の距離は、メールが届くのに8年もかかる程離れていた。
ノボルにとっては永遠とも思える時間、ミカコにとっては永遠とも思える距離、互いに離れている2人だが、想いはひとつだった。
「私は(僕は)ここにいるよ」
変わらない想いは、きっとある。
どんなときでも、自分を待ってくれている人がいてくれたら、どんなに心強いでしょう。
その存在だけで、人はいくらでも強くなれます。
だからこそ、人を信じて、想いは伝えなければなりません。
きっと、待っているのは周りの人たちだけじゃないから。
過去の自分、未来の自分、あの時別の選択をしていたらなっていたであろう自分。
自分に用意されたあらゆる可能性も、想いが届くと信じてる。
そう信じることが、何かを選ぶ半面何かを捨てて生きていく私たちの業に対しての答えなのかも知れません。

健康第一

先日、調子が悪くて病院にいきました、
消化器専門のお医者さんがCTスキャンの映像をみて問題はないとのこと

記念にスキャンの写真ももらいました。
合計7000円くらいの出費でちょっといたかったけど
問題ないって診断なので安心です。
安心料ですな

ではただの腰痛? 
しばらく様子をみます 
そういえばだんだん調子はよくなってきてるみたい

お酒を控えるようにしてましたが、
そろそろアルコールがほしい 今日この頃
(ただの飲みすぎだったとか)

なにはともあれ何も問題なく良かった良かった

2月の終わりに台湾に旅行にいくのでマッサージに
観光三昧です

風邪?花粉症?

ずいぶん暖かくなりました。
昨日は雨らしくて、
バイトも遅く終わるし、
厚着で行ったですが、暑かった。

昨日から風邪気味か花粉症か分からないですが、くしゃみがめっちゃ出て、
今大変です。
熱もちょっとある見たくて、
風邪かも。

新型インフルエンザがまた流行ってるんだって。
皆さん、気をつけてください。

映画をみました

映画を見ました。

<マディソン郡の橋>

1995年にクリント・イーストウッド監督主演、メリル・ストリープ主演女優で、同名小説をハリウッドが映画化。
後世に残る名作として語り継がれている。

物語はアメリカ・アイオワ州の小さな農家から始まる。働き者で誠実な夫と16歳の娘と18歳の息子を持つ母、フランチェスカは、裕福とまではいかないが、不自由なく静かな毎日が送れることに満足していた。
ある日、娘の可愛がっている子牛を品評会に出すことになり、夫と子どもらは4日間家を空けることとなった。
3人を送り出し、いつものように家事をするフランチェスカ。
すると家の前に一台の自動車が停まる。
ふだん人通りの殆どない道なので何の気なしに見ていると、運転席から男が降りてきて道を尋ねる。
彼の目的の橋までの道を教えようとするが、うまく教えられないフランチェスカ。
悪い男ではなさそうなので、同乗して案内することに。
道すがら、彼はナショナルジオグラフィックのカメラマンで、ここへは屋根のある橋の写真を撮りに来たことを知る。
彼の名はロバート。
フランチェスカは、彼の知性ある物言いと、誠実な振る舞いに次第にひかれていく。
彼との出会いは、彼女が実は今の生活に倦んでいたことと、アーティスティックな生き方に憧れを抱いていたことを抜きにしても、彼女にとって無二のものとなる。
それはロバートにとっても同様で、彼らは「永遠の4日間」を過ごす。

人は誰しも安定を求め、毎日が平和であることを願っています。
けれども、そんな静かな毎日を獲得すると、いつしかそれを退屈だと思う気持ちも生まれてくるかもしれません。
そんなときに、一生に一度きりの、愛する人との出会いを経験してしまったら。
これは誰しもが共感でき、また、体験してみたい物語です。

ロバートを演じているイーストウッドは年をとってもセクシーで、人を酔わせる言葉を自然に発していました。
彼は決して、人妻を誘惑する軽い男ではなく、知性も分別もある紳士でした。
フランチェスカも、ただ退屈で火遊び程度に手を出したわけでは決してなく、自分の今ある平穏と、家族のことを真剣に考えた上でも、抑えきれない何かをロバートに感じたからこそ彼と愛し合った。
その葛藤が、2人の距離や手つき、目の動きなど細部に非常に繊細に現れていて、「たった4日間で永遠の愛なんてうまれるわけがない」という視聴者の考えを、そうではない方向へと導いていきます。

最後の車中のシーンなどは、切なく、もどかしく、苦しく、美しい。
あと20年たったら必ずもう一度見よう。
そう思えたシーンでした。

他にも、2人の子どもたちによるモノローグ的な設定や彼らの心理的葛藤
。娘と息子での、母の不倫への反応の違い。病床の夫リチャードの「フラニー、お前にはお前の夢があったんだろう。それをあたえてやれなかった。でも、お前を愛してる」という最後の言葉。
心に浸みる名シーン名台詞が数多くありました。
40年経ったらリチャードの最後の台詞の深みが少しは理解できるかな?

本を読みました

<ニーベルンゲンの歌>

・1200年頃に書かれたドイツの国民的英雄叙事詩で、前半が英雄ジークフリートの悲劇的な死を、後半がその妻クリームヒルトの陰惨な復讐劇を綴っている。

ワーグナーの名曲「ニーベルンゲンの指輪」で名前は知っていたけど、読むのは初めて。
大長編古典だけど、児童向けに短く編集されたものを読みました。
古典に出てくるキャラクターは、誰もかれもが一本筋が通っていて、読んでいて痛快な思いがします。
特にジークフリードの勇猛ぶりと男らしさといったら、男であれば強い憧れを抱くはず。

彼はニーデルラントの王子として生まれ、勇敢な戦士として育ちます。
ニーベルンゲンの2人の王と700人の兵をたった一人でなぎ倒し、恐ろしい毒竜を打ち破り、その返り血を浴びて刃物を通さない無敵の肉体を手に入れます。
ニーベルンゲンの莫大な財宝もわが物とし、欲しいものは何でも手に入れてきたジークフリート。
ある日彼は、ブルグント国の姫、クリームヘルトの噂を聞きます。
彼女は紛うことなき絶世の美女で、孤高の処女でした。
ジークフリートは彼女を手に入れるために12人の騎士を連れてブルグントへ旅立ちます。
ブルグント城へ到着早々「この城を我が物とする」と豪語するジークフリート。
挑戦的な言葉を投げつけられたブルグントの将たちは息巻くが、彼と闘うのは得策ではないと判断したブルグントの王グンテルは、彼を城に招き入れ、歓迎の宴を催す。
城に滞在することになったジークフリートは王の危機的状況を幾度も救い、信頼を築き、ついにクリムヒルトと結ばれることとなる。

驚くのはジークフリートの、こうと決めたら突き進むその意志の強さと、それを実現してしまう実行力。
彼はまさに英雄とふさわしい数々の武勲を上げていきます。

古典には、現代の文学では到底受け入れられないような、人間離れした意志をもった登場人物が数多く登場します。
私たちが日常的にもつ悩みや、些細な喜びを全く感じる様子のない彼らは、大胆な行動を絶大な力をもって行い、失敗したら大いに悲しみ、成功したらあきれるほど喜びます。
理屈で考えたら到底共感できるはずはないのですが、長い間親しまれてきた物語にはこのような人物にも読み手がリアリティを感じてしまうような不思議な力があります。
それはもしかしたら、読み手である私たち自身が、何百年も語り継がれてきたその歴史を無意識に想像し、その重さから「この時代には、もしかしたらこんなすごい人たちがいたのかもしれない」と思っている、むしろ、そう思いたいからかもしれません。
歴史上の英雄には、些末な悩みなど似合いません。

古典には、現代を生きる私たちでは到底創り得ないような、神がかり的な説得力があるのでしょう。

「北欧に伝わるニーベルンゲンの歌」というのも存在するらしいので、機会があれば読んでみたいと思います。

テキサスバーガー

ようやく食べることができましたー マックのテキサスバーガー!!!

いつも売り切れで食べることができなくて悔しい思いをしてた毎日でしたが

ようやく念願かなってよかったよ~~~

みなさんはたべましたか???

 

食べていないかたは、是非いちどお試しれ

Sunday's Bowling Party

Sunday Jan. 24th we had a bowling party with about forty people. Usually I’m pretty good at bowling with nice average. Not on this day I was terrible, I was barely averaging a 100 and my last game I didn’t even make a 100. Maybe I lost my touch or perhaps maybe just maybe I drank too much the night before. I definitely drank too much the night before, that was the problem…

I seriously love this world.

I doubt there’s another same crazy one in the whole universe.

Australian Classification Board (ACB) is now banning depictions of small-breasted women in adult publications and films. They banned mainstream pornography from showing women with A-cup breasts, apparently on the grounds that they encourage paedophilia, and in spite of the fact this is a normal breast size for many adult women. Presumably small breasted women taking photographs of themselves will now be guilty of creating simulated child pornography, to say nothing of the message this sends to women with modestly sized chests or those who favour them. Australia has also banned pornographic depictions of female ejaculation, a normal orgasmic sexual response in many women, with censors branding it as ‘abhorrent.’

source

I guess Japan is out of luck?..