近頃はスマホで地図が見れるせいか、通りすがりの人に道を聞いても変な勧誘に間違えられることが増えて久しいです。たまたま片手に文庫本を持っていようものならば、それが勧誘用のパンフレットと思われてしまい、さらに懐疑的で刺すような視線を向けられるはめになります。そもそも最近は感染症対策で外出する機会自体が減りましたが、上のような現象は人間的な温もりの喪失、ひいてはある意味社会の分断の萌芽と呼んでも過言ではない、というのは早計過ぎるでしょうか。
「便利さの享受即ち豊かさ」という図式が必ずしも成立しないことは昔から多方面で叫ばれています。これを単なる使い古されたフレーズとして看過できないほど、技術の進歩と人間性の保持という二つの命題はすれ違ってしまっているというのは、おそらくある程度そう言えるものと思っています。否、実際のところ道を聞いた時の個々のケースを改めて考えてみると、単に私の見てくれの第一印象がすこぶる悪いから声を掛けられたくないと思われていた…という要素も、残念ですがそれこそ看過できないように思います。「その通りだ。お前のような奴は他人のせいにする前にまず鏡で自分の顔を見てから発言しろ」とおっしゃる方もおられるかと思いますが、真っ当なご意見ですしゆっくりと時間をかけて消化させていただきます。
頑固だから人生何ひとつうまくいかないということにいい加減気づいてもいい歳になったのですが、多種多様な人の意見は消化できないくせに、人に作ってもらった料理はきっちり全部消化しちゃうのがなんとも憎たらしくて、実に私らしいと思います。「消化」という言葉を使いましたが、元来肉付きの悪い私のようなモヤシが、作っていただいた料理の栄養をきちんと吸収出来ているかと聞かれると、そこには疑問符しか残らないような気がしています。

なにはともあれ、人工知能が人間の仕事を奪うと騒がれている時代においても手料理というものはいつだって人間の温もりを感じるものです。言わずもがな、もし一人暮らしをしていたらこんな素敵な体験をすることはなかったと思います。この上なく陳腐な言い方ではありますが、やはりありがたく思っていることはこの場を借りて伝えます。私は自分自身に血が通っているのを強く感じたいと望んでおり、抜け殻のような人生を歩むのはもうたくさんだと思い続けていましたが、心のこもったものは手料理に限らず無機質な生活に花を添えてくれます。
確か前回の投稿で「今度は家のことも書くから許してちゃぶ台」などとほざいたことを書いたと思いますが、こんな風に自分のことばかり書いていてよく飽きないなと、自分でも呆れます。たとえ絶望に溺れてしまいそうでも食べなければ人生は続かないのは言うまでもありませんし、私からも少しずつ、普段仲良くしていただいている家の皆様へ、もっと美味しいものを提供できればと思っています。
暖かくなってきましたが、引き続き皆様どうかご自愛ください。


























