昨晩は珍しくぐっすりと眠ることが出来ましたが、どういう風の吹き回しか夢の中にピカチュウが出てきました。決して悪い夢ではなかったからこそぐっすりと眠ることが出来たのはまぎれもない事実かと思います。その証拠に、少なくとも十万ボルトを食らった覚えがないこと(夢の中とはいえそんなことをされたら最悪の目覚めになるのは請け合いです。)そして当該ポケモンから「貧弱モヤシ」とか「顔がキモい」などという種類の傷つく発言がなかったことが挙げられます。この二点はきちんと書いて記録に残しておくことにしましょう。なにはともあれ、夢をはじめとする不思議な事象について正確に理解しようとするのは、SNSに依存するのと同じくらい精神衛生上良くないことだと私は考えています。ですので、これ以上昨晩のピカチュウについて深く考えるのはやめておくことにします。
かくして大型連休は終わりを迎えましたが、その後二日間の勤務日を経て、明日からまた週末が始まります。今年の大型連休中は簡単な料理をし、分かりもしない小難しい新書や論文を読み、タランチュラ…ではなくタランティーノのB級映画を鑑賞し、上手くもないギターを練習し、夜更かしをして過ごしました。特に夜更かしについては、「大きな子供」の不健康で頽廃的な生活態度とも言えるでしょう。私は頽廃や虚無に憧れを抱く風潮はどちらかというと嫌悪しています。心が荒れ放題のまま生きていくことにもう懲りたからというのが理由ですが、以前に比べれば人生に対するニヒリスティックな態度は影を潜め、マシな時間の使い方が出来るようになったような気がします。三十歳近くにもなって未だに時間の使い方を学んでいるなど全くもって恥ずかしい限りですが、無駄にした若さや時間を取り戻そうと躍起になっている自分は、俯瞰するといつもにも増して醜いんだろうと思っています。「増し増し」サービスはラーメンのトッピングに適用されればそれで充分で、生活態度の醜悪さは増されればさらに悲惨な状況が待っているのは言うまでもありません。
頽廃が嫌い…否、ふと改めて考えましたが、私は頽廃に耐えうる肉体と精神を持ち合わせていない自分が嫌いという方が正しく、このような態度はそういった肉体や精神を持つ者に対する、私のような持たざる者の嫉妬と、嫉妬と、そして嫉妬に端を発すると表現するのがいちばん正確だと思います。今更野暮なことを言うようですが、私は基本的に自分が好きではないが故アルカディアを外の世界に求めがちであります。そんな場所が世界中どこへ行っても見つからないことは三十歳を目前にしてようやく理解できるようになりましたが、外の世界を探したところで見つからない理想郷は、内の世界、つまり心の中でなら実現することができます。感情的な共鳴を誘う何かを見つけるのがそれを実現するのにいちばん手っ取り早い方法であることは、恐らく大多数の人に納得してもらえると勝手に思っています。たとえばカタルシスをもたらすタイプの芸術作品などは、あなたの心に鬱積している何かを溶かして無害化してくれる助けになるかもしれないのです。たとえアルカディアの実現は難しくとも、ディストピアの絶望に飲み込まれない術にはなると信じています。
そんなカタルシス作用を個人的に強く感じた作品を紹介して今回の投稿を締めくくりたいと思います。普段は活字作品ばかりの紹介で、読めもしない本を読めているふりをするのに忙しい私ですが、今回実におよそ三年ぶりに漫画たるものを購入しました。前回購入したのが手塚治虫の「アドルフに告ぐ」でしたので、現代漫画を購入するのは実に十五年ぶりということになります。「海街diary」という作品で、以前読んだ本の中でおすすめされていたという理由で購入に至りました。まだ冒頭の章しか読んでいないのにも関わらず、心のわだかまりがほどかれている感覚を得ています。活字、レコード、下手糞ギターという人生に行き詰まりを感じていましたが、まさか漫画作品が、白くしなびたモヤシを緑のつややかな豆苗に…ではなく、モノクロの生活をカラフルな日常に変えてくれるとは夢にも思っていませんでした。もちろんこれから漫画しか読まなくなるという極端な生活に陥ることは恐らくありませんが、漫画以外にもケン・ローチ監督の映画をたくさん観て、ジョーイ・バートンがモリッシーについて語った記事も読んで、たまりにたまった積読も少しずつ消化したく思います。カタルシスだけがアートの役割ではないことは理解しているつもりですが、作品に触れたその時一瞬だけでも心がすっと軽くなればそれでよいのかもしれません。少なくとも、今の自分にはそれでよいと思っています。(ケン・ローチ氏については、下の画像の通り以前是枝監督と対談された内容が本になっています。)


三十歳を目前にした凡庸な人間の心のわだかまり、そんな程度のものとは比べ物にならないほどの苦労をし、利他的な活動をされている方々への言及が今回の投稿で一切なかったのは恐縮ですが、引き続き皆様にはご自愛いただきたく思います。












